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ギュンター・グラス、ナチス親衛隊に所属していたことを告白
>> ノーベル賞返還要求も=G・グラス氏の「親衛隊告白」-独

これまでの作風が作風だったし、その上新作の出版に合わせたかのようなタイミングだっただけに猛烈な批判や論議が起こっているらしいです。

映画「ブリキの太鼓」、ずっと観よう観ようと思っていていまだに観てなかったのだけど、やっぱり観なきゃという気になってきた。


以下ネットで見つけた関連記事から気になった箇所を引用しつつ、いくつかの視点を自分なりにまとめてみた。リンク先の方々のような深い洞察に比べると特に真新しい意見を持ち合わせてるわけではないので、特にトラックバック等はしません。
>> 世相: ナチスとの係わりを認めたギュンター
ちょうど世代的には昭和一桁の世代、当時の日本の少年たちも、海洋少年団に入り、ボートを漕ぎ、国是に向かって戦争を煽る作曲家の歌を、大声で歌っていたのと同じことだ。戦争熱を煽った作曲家、作詞家、歌手たちは、素知らぬ顔で戦後の歌謡界で生きて来た。(中略)グラスは敗戦を味わうことで価値観の転倒を経験し、悩み苦しんだ生きざまの中から生まれたのが彼の作品だったろうと思うし、この度の告白となったものだろう。

>> ココヴォコ図書館: ギュンター・グラスの件について
グラスは、ある新聞に対して「やっと『過去』を口にできた」と語ったらしい。悲痛だなと思う。多分、ずっとずっと、いつか言おうと思い続けながら、言えずに生きてきたのだろう。そしていよいよ言ったのだろう。

このあたりの同情的見地には共感します。自分もノーベル賞取り消しという動きに対しては、「え、それはやりすぎじゃね?それとこれとは別じゃないの?」って最初は思った。でもそう感じるのは自分が日本人だからで、当事者の国の人々、とりわけユダヤ人にとっては決してそうは考えられないだろうこともわかっていた。文学作品中のみならず、社会活動においても積極的にナチス批判を行い「ドイツの良心」とまで言われていた彼が、実は「虐げた側」だったことを今までずっと隠していたわけだから。「それはずるい」ってもの。以下のちょっと長い引用みたいな手厳しい表現が出るのも仕方ない。


>> Wein, Weib und Gesang: 正当化の独逸的悔悟
本人が言うように、十代の二年の月日は、それを理解するには大きく、19歳の青年と17歳の青年では全く違うであろう。ニュルンベルク裁判で事情を初めて知ったと言うのも、弁解として良かろう。ただ、彼は全てを語る機会を逃した。インタヴューアーは訊ねる「ブリキの太鼓の時に全てを語れたのではないか」と、作家は答える「それが受け入れられる状況はなかった」と。

自ら二年過ごした捕虜収容所での米軍の黒人人種差別に触れ、反省の無いフランスを代表とする戦勝国への不信感を語り、西ドイツのアデナウワー政権の異常と正常化しようとしたヨゼフ・シュトラウスの政治を語るとき、ナチのキージンガー首相を相対化するとき、この作家はドイツ人得意の醜い言い逃れを図る。

嘘は、更に嘘を構築する。この作家は、何度も誤りを繰り返した。一度掛け違ったボタンは、一度着た服を脱ぎ捨てて裸になるしか修正出来ない。玉葱の皮を剥くように。そして今、またしても死後のスキャンダルよりも、弁明の効く著作活動を選んだ。後悔しているかとの問いに答えて、それしかなかったと開き直る。いつもそうして来た様に。

リンク先記事のコメント欄にも書いてあるけども、結局彼に本当に誠意があるかどうか、どういう真意をもっての告白だったかで評価ががらりと変わるわけで、それは自分にはわからない。

ただ、先に掲げた世相さんの記事にあったように、こういう矛盾を抱えている人間はこの世代には決して少なくない。ドイツ国内でも「敗戦後は素知らぬ風に「何があったの?」と言った顔でその後のその世界で泳ぎ続けた」人々は数多くいるはず。それを踏まえて、以下の引用をもって結ばせていただきます。


>> Wein, Weib und Gesang: 79歳の夏、グラスの一石
ターゲス・ツァイトングがその文学的内容を見直さなければならないとしているのに対して、フランクフルター・ルントシャウの一節も面白い。「もし、グラスの矛盾を反面教師としていたならば、連邦共和国の歴史で最も根幹となり更に罪として逃れられないもの、また殆ど 罪 の 自 尊 心 (注:所謂自虐感の裏返し)やそれからの解放が、原理主義的に正統的なお墨付きを刻印されなかったであろう。」と、まさにイデオロギーに縛られて来たジャーナリストの自己反省ともしている。反対に痒いところに届かないかのようにポイントを突けず、その発言よりも賢く明晰な氏の文学の傾向を「遅れた悔悟」と同一の懐疑とする南ドイツ新聞は一体どうだろう。

まさに、このことが今回の発言の意義であり、先のワールドカップで解放されたパトリオリズムやポストモダーンな世界観の現在の社会に一石を投じたとして良いのではないだろうか?

<ちょっと追記>
この告白の遅さに関して批判が集中しているのは当然のことで、たぶん彼自身もそれは重々承知の上での今回のできごとだったと思うのだけど、それでノーベル賞返還というのは、やっぱり、ない。この過去がただちに作品そのものの価値を減ずるわけではないし、むしろこの経験が単純な外側からのナチス批判に留まらない客観的かつ多面的な描写を可能せしめたという側面もあるだろうから。俺はこの人の本を直接読んだわけじゃないのであまり偉そうなこと書いても知ったかぶりになるだけだけど、いろんな書評を読んでみた限りでは、まさにその側面こそがノーベル賞を受けるほどの文学的評価につながったことは疑いのないところだと思う。というわけで早く映画観なきゃー。
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08/16 13:11 | news | CM:5 | TB:0 | このエントリーをはてなブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク 
採りあげて頂いて感謝いたします。先ずは取り急ぎお礼まで。
知らんかった!ハイデガーやワーグナーが
反ユダヤだったのはちらっと聞いたことあったけど、
この人もなんだ。
>pfaelzerweinさん
はじめまして。こちらこそ、興味深いエントリーを読ませていただきありがとうございました。こちらの記事に出会わなければ、おそらくもっとずっと単純な感想のまま(矛盾を今まで抱えてきたグラスさんかわいそう、程度の)で終わっていたかもしれません。

今後も関連記事に(勝手に)期待しております。よろしくお願いします。

>kasumiさん
グラス氏が最初に軍隊に志願した動機って単に「両親の束縛から自由になる」ためだったらしいので(当時15歳)、必ずしも反ユダヤ思想に染まりきってたとは限らないようですよ。

まあこれもただ本人の述懐でそういわれているだけで、それこそハイデッガーのように表向き都合のいいように弁明したに過ぎない可能性も否めないのですが。でもあんまりそうは考えたくないものですね、心情的には・・・
突然のコメントごめんなさい。
「ブリキの太鼓」は自分の観た中でも、自分にとっては、精神的にも映像的にもグロい作品。で凄く印象深い作品でした。
とてもアンダーグラウンドな感じで、作品に漂う異様なグロさに苦手を感じる部分もありましたが、観て良かったと思っている作品です。
迷狗屋さん、こんにちは。コメントありがとうございます!
やはり良くも悪くも強烈な印象を与える作品なのですね。
やはり早く観なければ。
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