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伝説のトラウマイメージ映画"Begotten"映像集

>> Begotten (Trailer)

「シャドウ・オブ・ヴァンパイア」「サスペクト・ゼロ」のE・エリアス・マーヒッジ(E. Elias Merhige)監督が大学1年生の時に製作した伝説のトラウマサイレントムービー。

"metaphysical splatter film"と称され、粒子の荒いモノクロームの映像を通して展開する悪夢的イメージの連鎖で、デヴィッド・リンチの『イレイザーヘッド』に続く無意識に染み込むような超現実的恐怖映画として一気にカルト化した。

で、その本編が半分くらいYouTubeに落ちてたので観てみたのだけど、これが本当に物凄かった。本当の意味で後を引くイヤな感じの怖さというか、トラウマ量産機というか、とにかくこんなもん絶対世に広まっちゃいけないなと思ったのでさっそく以下に紹介します。

(以下、言うまでもなく精神的グロ注意。って、こんなもの観てみようと思う方にそんな忠告は無用でしょうけど)

>> Part 1 (10:00)


>> Part 2 (10:00 / ※+18っぽい描写有)


>> Part 3 (8:36)


>> Part 4 (9:09)

本編は76分あるんですが、こんな調子で全編ぶっ通して見せられたら確かに何か不穏なものが無意識下にまで食い込んできそうで怖い。観てはいけないものを観ているような不快感。個人的で申し訳ないけども、最近読んだセオドア・ローザックのミステリ小説「フリッカー、あるいは映画の魔」に登場する伝説的カルト映画監督、マックス・キャッスルを連想した。その架空の監督は「世界の根底に巣食う『邪悪』」をフィルムに焼き付けていたのだけど、もしそれが実在したとしたらこういう感じの映像だったのかな、と。

ちなみにメディアは幸か不幸か世界的に廃盤のため、現在はアマゾンのユーズドでこんな値段になっております。15000円超え。でも一応モノ自体は出品されてるのね。


【関連】

>> Marilyn Manson / Cryptorchid
そのマーヒッジ監督が、"Begotten"を題材に制作したマリリン・マンソンのPV。
映画本体はどカルトですが、こっちを観たことある人はわりといるかも、と思って調べたらこんなん出てきた。こういう反応を引き出せたってことはつまり大成功ってことなんだよな。
ちなみにマンソン自身"Begotten"が大好きらしく、インタビューで"One movie that had a great impact on me"としてこれを挙げたことがあるそうです。(出典

>> Marilyn Manson / Coma Black
↑と超似てるけど、こちらは"Cryptorchid"を真似てファンが作ったマッシュアップ。
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02/09 23:18 | movie | CM:8 | TB:0 | このエントリーをはてなブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク 
はじめまして。
ネットうろうろしてたらたどり着きました。
Issueにあげるものがすべてセンスが良すぎて感動。
特に"Begotten"最高です。涙でました。

すわ、天才発見???!!

また見にきます。
begotten探って、来ました。
残念ながら映像は削除されてしまいましたが…
でも全てにおいてセンスがよろしくて、とても楽しいです。

知らない方にコメントってしたことないんですが
あまりに素敵、感激、感動、で、思わず。
また来ます。
ってーか、このところ毎日来てますが。てへ。

こんにちは。
毎日見てくださってるのですか、ありがとうございます!
今年に入ってからまだ1回しか更新してないという大変申し訳ないペースですが、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

Begottenの動画、だいぶ前に消されてしまいましたね。R18指定してあるPart2だけ生き残ってるのを考えると、どうも著作権云々でなく描写の不健全さが引っ掛かったみたいです。トレーラーは別に生きてる動画があったのでリンク修正いたしました。
お陰様で、他の部分の動画を見ることができました。
リンク修正ありがとうございました。
構成ならびに、展開が不明なままなので自分の中では
グロい映像が単なるグロで終わってしまっているのが
残念でなりません。
宗教的背景などが分からないとつまらないのかしら?

名古屋のおじさんも面白かったでーす。


自分も半分くらいしか観られていないのですが、
少なくともこの半分に関しては展開もへったくれもなかったです。
こういうものは理解できる筋をもたないからこそ怖さに繋がる気がします。
でもまあ、単なるナンセンスなグロかといえば確かにその通りでもあります。

名古屋のおじさんはやっぱり人気あるなあ。
京都の方ですか!初めまして。私は下鴨に生まれて、今は東山に住んでいます。

最近ウィリアム・フリードキンの「エクソシスト」にどうやらすっぽりとハマってしまって、そこから逃れるにはどうしたらいいかと相談したところ、「対抗療法でもっと過激ななBegottenを観れば」と勧められました。しかし、おっしゃる通り中古VHSは高価で、こちらの映像に頼ったという次第です。

断片を観ただけでは何とも言えないのですが、グロテスクヴィジュアルという点では、土方巽の「衰弱舞踏」には適わないという感じがしました。

エクソシストとビーゴットンとどちらが怖いか。これは映画作品とか文学作品とかを作る人にとってすごく大事な問いだと思います。

西洋詩学において、恐怖とか戦慄とかは憐憫や陶酔と同じく倫理的情緒として扱われているので、伝統的にストーリー性のあるなしが観客の擬似感情の生起を左右するとと思われて来ました。ブニュエル以来、映画はそれに反して、ストーリー性も前後関連もなく、つまり言葉や観念を用いずに、一瞬にしてヒヤリとさせますよね。そのヒヤリの射程がマンソンの狂気に通じるスケールを持ってるとしても、芸術的感動としてはどこまで有効なものでしょうか。この点ですね。

「エクソシスト」の骨子は、非キリスト教圏出身者にとっては異様で悲壮なまでに頑な善悪を峻別する倫理構造。これが「真面目さ」という恐怖心にはなくてはならない要素を提供しているのではないでしょうかね。

Begottenのグロテスク映像の倫理性(道徳ということではなく、一貫した世界観)がストーリー(キャラクターと筋立てによって作られる、時間系列に従った信憑性の母体)にはないとすれば、それはどこにあるのでしょうか。様式の一貫性でしょうか。(画像の質も含めて。)それとも社会的メッセージでしょうか。

結論は、やっぱりエクソシストの方が怖いと信じます。
Yyさん、初めまして。コメントありがとうございます。
下鴨、東山と、どちらも素敵なところですね。
私の家はそこよりは南です。(具体的な地域についてはここでは勘弁してください。)
今は仕事で海外におりますが・・・。

まず返信が非常に遅いことをお詫びいたします。
ずっと更新停止状態だったこともありますが、
大量のスパムコメントのために、本コメントの承認待ちに気づかずコメントの承認自体がたいへんに遅れてしまいました。
(ブログ移行に伴い最後の総チェックをしなければずっと気づかないところでした)


興味深い考察、ありがとうございます。
コメントを読みながら、この映像の「怖さ」は何から来るのか?
ということについて改めて疑問が沸きました。
以下自分なりの考えを述べてみたいと思います。
短くまとめるのが苦手で長文ですが何卒ご容赦下さい。

この映像を一見した当初の印象に即して語ると、
(一般的倫理観・道徳観に即して)不道徳な、
あるいは不穏な記号に散りばめられているように見えるにも関わらず、
それらの記号が実際に意味する先がつかめないこと、その「わからないこと」への不安が、
見る者へ与える恐怖(と受け取られる感情)の根底にあるように感じます。

一見して明瞭な世界観やストーリー性がないことや
同じように不明瞭な画質であることがそれに加担しているように思います。
監督本人は三部作にしたかったそうなので、
何かしら構造を持った世界観を考えていたかもしれませんが
その知識がなくても呼び起こされる感情というのは、
やはりそういった構造とは無縁のものと考えるべきです。

したがって、「恐怖」という同じ言葉で括られる感情ではあっても、
"Begotten"が想起させる感情は、「エクソシスト」が想起させるそれ
(Yyさんの言葉をお借りすれば「倫理的情緒」に属する恐怖となるでしょうか)とはやはり種類の異なる、
どちらかと言えば、Yyさんの引き合いに出された
ブニュエルの「アンダルシアの犬」が与えるそれに類するものと思います。
「ストーリー性も前後関連もな」い瞬発的なものです。

私の感覚では、そのように与えられる瞬発的な恐怖感の根底は、
「コワイ記号に溢れているからきっとコワイものなんだけど、
どのようなコワイものなのかがわからない」という感情です。
「これは今の自分の解釈できるスケールを超えている」
という直感的な印象と言ってもいいかもしれません。
解釈を与える前に予感として想起させられる恐怖ですね。

ブニュエル以来に提示されてきた瞬発的な恐怖というのは、
恐怖を想起するために必要と思われてきた構造(ストーリー性等)が、
実はそれそのものが必要なわけではなくて、
その構造の存在を予感させる何らかの記号だけでも
十分に機能するのだということを示しているのではないでしょうか。
パブロフの犬に対するベルのように。

それと同時に、何だかわからないものに対する恐怖というのは
本能的な恐怖として非常に自明に近いものです。
怖いという直感が働くにも関わらず、
その怖さを解釈できないことそのものがまた別種の恐怖を呼び起こしているとは言えないでしょうか。


土方巽の舞踏が引き合いに出たのは興味深かったです。
確かに、土方氏のヴィジュアルインパクトは凄まじいものがあり、
一見して同種の感情を抱くこともさもありなんと思います。
しかしそこで表現したい感情は、
こういった映像が提示しようとする「恐怖」とは
またタイプが違うものではないかという気もします。
どう違うのかといわれると、あまり説明できないのですが。

舞踏も好きで何度か見に行った経験はありますが、
詳しくはないので中途半端な知識で語るのはちょっと自信がないです。
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